「この先一人でどやって暮らす。こまったぁどうすんべぇ」
芥川賞作品『おらおらでひとりいぐも』。作家の若竹千佐子さんは、結婚、出産、最愛の夫との死別を経て、老いと向き合う74歳の主人公・桃子を情感豊かな東北弁を交えて描いた。
そんな作品を、人気声優の桑島法子さんが朗読した。
「おらは今むしろ死に魅せられでいるのだす。死は恐れでなくて解放なんだなす」
物語の佳境。年老いた主人公は、ヒタヒタと近づく死を悟る。
マイクを前にした桑島さんは、70代の主人公の心の声を岩手の南部方言で滔々と語る。
その息遣いは、まるで老いゆく桃子が隣にいるかのようだ。
桑島さんは、宮沢賢治の朗読をライフワークにしている。賢治への思い入れは、今は亡き最愛の父の影響があるという。
朗読しながら、自身と桃子を重ね合わせた瞬間もあったと語る。
最愛の人の死と、私たちはどう向き合えば良いだろうか。桑島さんと考えてみた。
アニメーションはもちろん、ライフワークとされている宮沢賢治の詩の朗読でも活躍されています。
宮沢賢治を朗読しているのは、亡くなった父の影響もあるんです。
ちょっと変わった人で、結婚式の余興や人が集まる場所などで賢治の作品をよく朗読していました。
「永訣の朝」と「原体剣舞連」が父の十八番でした。
完全に素人なんですけどね。素人とは思えない表現力で(笑)。それを聞いて育ってきた。
子どものころから、宮沢賢治の要素が身体に入っていたのでしょう。
せっかく声優になれたので「いつか父のような朗読ができたらいいな。あんな表現ができる場所があったらいいな」って、
漠然と思っていたんです。
そうして、宮沢賢治しか朗読しない「朗読夜」という公演を、無謀にも26歳からスタートしました。
――「無謀」というと。
当時、手打ち興行以外で、ひとりで朗読会をやっている声優さんは、ほとんどいらっしゃらなかったんです。
そもそも「興行として成立するのか?」と、周りからもびっくりされまして。
それでも自己流のやり方でなんとか模索しながらやってきました。
最初のころの出来はひどかったと思うんですけれど...。それでも、根気よく聴き続けてくださったファンの皆さんがいてくれて、
続けていくうちに、なんとなくかたちになってきました。
その間に、最愛の父が亡くなりました。それで、父が私と同化してしまったんですね。
そこからはもう、怖いもの無しみたいな感覚になれました。
今回朗読した『おらおらでひとりいぐも』(私は私で、ひとり生きる)という心境です(笑)。
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■動画
関連リンク
声優・桑島法子は挑み続ける、自分にしかできない表現を。きっかけは「アイドル声優」への疑問だった(ハフポスト日本版) - Yahoo!ニュース
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180720-00010013-huffpost-soci @YahooNewsTopics
https://www.huffingtonpost.jp/2018/07/20/houko-kuwashima-02_a_23485954/
だからこそだろ
さらなるぬかるみに
やっぱ嫌なことされたのかな
桑島法子さんのありがたいお言葉
桑島「オタクは脳の検査が必要」
桑島「オタクが放つ独特な空気に拒否反応」
↑しかもこれら2つは陰で言ってて、それを脚本家の會川昇にラジオでばらされた
桑島「パソコンやるやつは全員オタク」
桑島「声優が歌やら顔出しするのはおかしい」
桑島「濃いお兄さんたちが一杯来る」←イベントに対して
司会者がイベントにもっとも遠くからきたファンと問いかけてるも、桑島無反応
司会者「桑島さん、まるで他人事みたいな顔ですね」
桑島「だって他人事だもん」
~白倉由美(大塚英志の妻、小説家・漫画原作者)氏の桑島法子に対する発言~
白倉「嫌いだったパーソナリティーっていうのは、もう決まりなんですけど桑島法子さん。
もう大っ嫌いでこれは私は隠すつもりはないんで、これを聞いた人は桑島法子さんの所に行って
白倉さんが大っ嫌いでしたと言ってましたという風にみんな言ってください。もう本当に嫌いです。
あんな性格の悪い人とは、2度と会いたくありません。」
↑の音源
http://www.youtube.com/watch?v=P7bMf1jriX8
声優ではなく女優になる努力をしないとね
アイドル声優って
養成所上がりの声優の別称じゃなかったの?
役者扱いされてないからアイドルと頭に付く
ノワールの霧香は桑島声の中で一番好きな
キャラ。
>>117
まあ丁度業界の過渡期だったからなあ
事務所の力と声だけ出していれば評価される時代から
そういうのが減りつつあり、声優が営業しないといけない時代へ
勘違いされてるけど昔の方がよっぽど事務所力みたいのは強いからね
1985年あたりまで層が薄いイメージ。
1985年生まれから急に層が厚くなる
感じがする。なんとなくだけど。
ドロレスの頃はもう本人も周りもアイドル完全否定してなかったっけ?
アイドル感あったのはナデシコからほんの数年って感じだったような
それでも、当時、声優雑誌に連続表紙で、
異常優遇されてたのにこの記事はなぁ。
>塾の先生たちがみんな驚いていました。「え?あの子が受かったの?」って(笑)。同期が71人ほどいて、受かったのは20人ほどでした。
ちなみにこの青二塾、同期の東京で生き残ったのが桑島ただ1人
関西の大阪校出身で生き残ったのが中井和哉、前田愛
だったかなあ
グラビア声優、麻雀声優、プロレス声優もおるんやで
ってオラついてる声優よか良い
適当に仕事こなせばいいだけだぜ
昔は(今も?)「声優オタク嫌い」みたいな事を言ってて
ぶっちゃけるなあって驚いたなあ